いのうえ歌舞伎☆號「IZO」 2008/2/17シアターBRAVA!
以蔵が輝けば周りも光を放つ。
2回目の「IZO」
以蔵が際立てば立つほど、他の登場人物の輪郭もくっきりと現れてくる。
以蔵の悔しさ、憤り、哀しみが強く伝わると同時に
おみつの、武市半平太の、寅乃助の、思いや憂い、
竜馬の、源兵衛の、以蔵を思う気持ち、が
それぞれの台詞、表情、動きから確かに感じられて胸が熱くなってくる。
今もエンディングテーマの「声」を聞くと、それぞれのキャストの
楽しげな顔や悲痛な叫び、断末魔の声、哀しい表情が鮮やかに甦ってくる。
「天を見ずに山を見ちょれば良かった。」
一度目は、この以蔵の台詞、メッセージに抵抗を感じてしまった。
では、この時代の世の中を変えよう、とした人たちは愚かだったのか?と。
それは今のこの平和な時代だからこそ言える事であって、
現在に安穏としていては何も変わらないんじゃないのかと、そう思った。
だけど、この脚本は否定しているんじゃない、
自分の剣で世の中を変えようとした以蔵だから、
愚かに、一途に、天を信じた以蔵だからこそ、
「この先の世の中が光に満ちあふれますように。」と、そう思えたんじゃないか。
以蔵の人生は確かに哀しく切なかったけれど、決してそれを否定しているんじゃない、とそう思った。
そしてそれは武市半平太も同じだと思う。
田辺ファンだからどうしても武市半平太を特別視してしまうのかもしれないが、
以蔵と武市半平太は似ていると思う。
以蔵も半平太も自分の信じるものを一途に信じ抜き、夢破れ、
自分の去った後の世に希望を残して散って行った。
以蔵の不器用で頑なな生き方は、同時に武市半平太にも重なる。
田辺さんは「シアターガイド」のインタビューで
「武市は、以蔵を道具のように思っていたのか、大切に思っていたのか
どちらがより以蔵にとって切ないのか、」と語っていたけれど、
半平太が以蔵を見る眼はどんな時も偽りはないように思えた。
最初の頃の優しい眼、失態をしかる時の怒りの眼、蔑みの眼、
半平太が最も自分の気持ちをまっすぐにぶつけたのが以蔵ではないか、と思えるほど。
共に互いを見る眼はまっすぐな二人なのに、すれ違ってしまう思い、拾えない気持ちがより切なく感じられる。
最初、田辺さんの作り出す武市半平太像の「力強さ」が自分のイメージしていたものにかなり近かったので、それに惑わされて「IZO」の世界の
武市半平太の人間臭い「弱さ」や「脆さ」がちゃんと見えてなかったように思う。
それこそが田辺誠一の作りだす武市半平太の妙だったのに。
他にも下横目の井上佐一郎とか(←以蔵に差し出す握り飯は反則だ、もうあそこでやられてしまった。)
寅乃助さんとか好きな場面とかいろいろあるのだけれどすべては語り尽くせない。見ている間は余韻を許さない舞台だと思ったけれど、千秋楽も終わってしまった今は、
以蔵の台詞を借りるなら「すべてが夢のようで」そして、いつまでも余韻が残るような、そんな舞台だった。
by bisyamonkikkou
| 2008-02-20 02:23
| 誠一くん日記