「TAROの塔」最終話感想
これは・・・岡本太郎物語なのか?
いや、そうじゃない、見たものが岡本太郎を感じる、
彼の遺したものを、生き様を、見て、感じる、
そういうドラマなのだと思う。
だから第3回、4回は敏子さんの視点で描かれており、
戦後の岡本太郎については、彼本人による彼自身の思考というものは
著書の言葉や敏子との会話以外、語られていなかった。
最後の「なんで居ないなんていうの?」という敏子さんの言葉。
岡本太郎は、今もわたし達が感じようと思えばそこにいるんだ、
これがこのドラマのメッセージに違いない。
と、思ったとき番組HPの脚本・大森寿美男氏のメッセージを思い出した。
「本当の『岡本太郎』は、ドラマを観た人の中で、それぞれ勝手に自分の問題として広げてゆくものだと思うから」
見た人が何を自分の中に残すのか、芽生えさせるのか?
それは人それぞれ違うのだろうと思う。
「影だって燃えているんだ。」そう言って太郎が太陽の塔の裏側に黒い太陽を描き足した場面。
このシーンに胸が熱くなった。
少し前に万博記念公園で改めて「太陽の塔」を間近で見た時、
この裏側の黒い太陽がとても印象に残って、あれはなんだろう?
人間のこころの暗い部分なんだろうか?と思ったりした。
「太陽の塔」制作以来、太郎の元にいた倉田が太陽の塔の裏の黒い太陽について、
あれは岡本かの子さんだと思って先生に聞いたら否定しなかった、と敏子に言った。
太郎はなぜ否定しなかったのか?
それは倉田がそう感じたのならそれが彼にとっての正解に違いないからだろう。
番組HPの各ページの見出しは、この黒い太陽が反転したもので装飾されている。
これはこのドラマを創りだしたすべての人がこの黒い太陽だってことじゃないんだろうか?
いや、岡本太郎自身ですら「岡本太郎」の影だったのではないだろうか?
そう思うとまた胸が熱くなった。
何かを創りだすこと、行動を起こすことに見返りを求めてはいけない。
影となって燃える、肝心なのは燃えたかどうか。
燃えるほどに自分の中でそれを爆発させなければならない。
そんな風に生きれたら少しは岡本太郎に近づけるかもしれない。
by bisyamonkikkou
| 2011-04-09 06:06
| 誠一くん日記